日別アーカイブ: 2017年6月5日

ALIVE(アライブ)総合格闘技道場

名古屋を拠点に、総合格闘技・ブラジリアン柔術・パーソナルトレーニングのトレーナーとして、日夜世界中を飛び回る、ベテラントレーナーの日記です。ダイエットから世界チャンピオンの育成まで「トレーニング」なら何でもお任せを!つ^_^たう

中井祐樹と俺。

もう今では、この歴史を知るのは、ALIVE の設立からの職員である重久コーチと、会員No.001 の江川さんだけなんだけど…

今から20年前の1997年、格闘技マニアだった俺が、名古屋に格闘技道場を作りたくて、その年に中井祐樹が設立したパラエストラ東京に泊まり込みで勉強に行った。
当時まだ総合格闘技の道場は日本に5つか6つしか無かったんじゃないかな。
何せ、PRIDE さえ始まる直前だからね。
その時、素人だった俺が道場を作りたいと言うのに、バカにせず「一緒に格闘技の普及をしましょう!」と言ってくれた中井祐樹に感動した。
そして、中井祐樹の教えの下、総合格闘技とブラジリアン柔術を始めた俺は、一心不乱に柔術を学び、始めてから5年かけ、ついに全日本選手権の茶帯で優勝し、柔術連盟の会長だった中井祐樹から黒帯を貰った。
まだ、ブラジリアン柔術の競技人口も少なく、日本で11番目の黒帯だったと記憶している。
それから俺も総合格闘技と柔術の普及のために、名古屋で総合格闘技や柔術のアマチュアとプロの大会を開き続けて来た。
中井祐樹とは…
高校時代にレスリングを学び、北海道大学柔道部で高専柔道の流れを汲む七帝柔道を学ぶ。
1994年 24才で 第3代 修斗 ウェルター級 チャンピオンに輝く。
(修斗の創始者 佐山聡の大ファンで、修斗の設立から追いかけていた当時29才だった俺は、専門誌を読んで興奮していた。)
1995年 バーリトゥード ジャパン トーナメント決勝にて「400戦無敗」ヒクソン・グレイシーと戦う。
(中井祐樹が優勝大本命のゴルドーを破っての決勝進出には驚いた。)
このトーナメントにて右眼を失明。その後、ブラジリアン柔術に専念。
1997年 パラエストラ東京を設立。
(右眼を失ってなお格闘技に命をかける姿に惚れ、この人の精神を受け継ぎたいと、東京に泊まり込みで学ばせて貰う。)
1998年 名古屋に俺と重久が ALIVE を設立
俺にとって、中井祐樹は格闘技の師匠であり、道場設立の先生である。
そんな中井さんとは、もう20年の付き合いなんだなぁ。
元 修斗チャンピオン、日本のブラジリアン柔術の祖。
当時、雲の上の人と、こんな風に飲む日が来るとは。
本当に幸せな事だ。
これからも、俺は格闘技の普及に尽力したい。
中井祐樹、今日の一言
「ロックンロール!」
飲ませちゃダメだな(笑)♪